このメロディはもう恋みたいだ

ex.ばんぎゃるのド新規オタが徒然なるままに @ru____kka

4/13 滝沢歌舞伎に入った三宅担が思うこと

 

昔から、自分の好きなものや物欲があまりない子どもだった。

誕生日プレゼントもその時流行っているものを欲しがってみたりするが、結局は使わずじまいということが多々あった。困り果てた小学4年生の私は、実用的な低反発枕を買ってもらったこともある。それくらい、自分に興味関心は薄かったし自分に対する察知能力は高くない。それは今でも変わらないことのように思う。

 

その代わりといってはなんだが、「好きな人が好きなもの」が人一倍好きだった。
好きなアーティストがつけていたリストバンドを探して同じものを買ったり、ニノ担時代はスマーフが大好きだった。友人と買い物をしている時に「欲しい!って言ったあと「○○(好きなアイドル)が好きなんだよね」って言うこと多いよね」と言われたことがあった。その時に、自分に対する興味関心の薄さを好きなアイドルでカバーしていることに気付いた。そういった理由がないと、購入に踏み切ることが出来ないのだ。自分にお金を投資することが気持ち悪くて、足踏みしてしまう。もう年齢的にもいい大人だから自己投資には慣れたが、未だに少しお高い買い物をする時は妙な抵抗感を感じる。アイドルはそんな時にも誰かの為になってくれるのだな、と改めて凄い存在なことに気づかされる。

 

 

 


4月13日の夜、私は新橋演舞場に足を踏み入れた。三宅健くんが出演する滝沢歌舞伎を観に行ってきた。自担でありながら、健くんを実際に拝見するのはミュージックソン以来2回目である。ジャニーズウェブのにこ健でも、健くんが頑張っている様子が伝わってきて、とても楽しみにしていた。そして、私の大学の友人にジュニア担がいる。ジャニオタになったことを告白したら笑顔で青い例の紙を渡してくれたようなとても頼りになる友人で、「いつかは一緒に自担を見られたらいいね。でもジュニアと健ちゃんなんて、夢のまた夢だよね」なんて話していた。それが叶ったのがこの滝沢歌舞伎だった。友人と一緒に観られる幸せ、以前から興味があった歌舞伎に初めて触れられる幸せ、健くんの頑張りをこの目で観られる幸せ。その日が来るのを指折り数えていた。

 

折る指もあと1本となったところで、健くんが足を負傷したという情報が入ってきた。困惑と心配と、少しばかりのもどかしさを感じた。滝沢歌舞伎に初出演の健くんが初日から数日で怪我をしたことで、世間から健くんが心無い評価をされそうで、悔しかった。スタッフさんのミスなのか健ちゃんのミスなのかはわからない。誰のせいにも出来ない。けれど、釈然としない。心配の気持ちも溢れんばかりにある。もやもやしたまま、結局その日を迎えた。

 


公演内容について細かくは触れないが、簡潔に感想を述べると笑いがあり素敵な舞台だった。タッキーの凛とした立ち振る舞い、スノーマンの頼りになる掛け合い、アクション、他にも沢山のエンターテインメントがそこにはあった。細々ともっとこうして欲しかったとかそういう気持ちはない訳ではないが「それはそれ、これはこれ」である。


そして、三宅担としては、やっぱり若干物足りなさを感じていた。特に幕間は、その気持ちで沈んでしまって自己嫌悪に陥っていたように思う。そこは出番の少なさだとかも関係しているのは否めないが、一番は「健くんが居たであろう出番」を見ることの苦しさがあったからかもしれない。ここはタッキーとシンメになっていたのではないか、と思って観てしまう。一幕は特にダンスシーンなど体を酷使する場面が多かったから、手負いの健くんが出られないのは仕方ないことだが、どうしても考えてしまうのだ。

 

そんな自分に嫌気が差しながらも観た二幕。気付いたら、涙が溢れていた。健くんに似た、足を少しばかり引きずる岡っ引きがそこには居た。そんな感覚に陥るくらい、健くんは鼠小僧に溶け込んでいたのだ。一幕はタッキーが言っていた通り、健くんは確かに「守られていた」ように感じる。タッキーが頼りになりすぎる故の、儚い寡黙なお姫様のような、囚われの姫のような丁重な守り。しかし二幕はしっかりと健くんがそこには居た。守られてなんていなかった。若干のアクションシーンもあり、本当に骨折しているとは思えないくらい軽快に動いている。そして二幕が終わって、最後の最後に健くん作詞の歌を歌いながら、ジュニアの後ろに健くんが消えた。上からはうっすらとワイヤーが見えていて、まさか、と目を疑った。その数秒後にタッキーと健くんが見事にフライングし、優雅に空中を舞っていた。本当に、なんて人なんだと思った時には溢れに溢れている涙が更に溢れていて、隣の友人が若干引きながら笑っていた。

 

 

 


私は、すぐ投影してしまうし、感情移入してしまう。好きな人が好きなものを手に入れようとするのも、少しでもその人の見てる世界を見てみたいと思うからであり、その人が感じることをその人の「本当」に近づけたいと願ってしまう。その上で自分の観点から考察したりするのが好きだったりする。健くんの今回の怪我も、実際に観てから悔しさがこみ上げてきて、それも含めての涙だった。本当に素敵な舞台だったからこそ、健くんが感じた悔しさを、尋常じゃないくらいに考えてしまったし、それはきっと健くんの心の中にある悔しさと同じだった。それが伝わってくるくらい、健くんは滝沢歌舞伎に存在していた。存在感とはまた別の存在の仕方だった。

 

 


最後にマイクを取った健くんは「このメンバーで最後まで駆け抜ける」と宣言した。健くんの覚悟と意地は、きっとこれから観劇する方を満たしてくれるものになる。最後まで、「頑張るよりも楽しんで」ほしい。

  

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