このメロディはもう恋みたいだ

ex.ばんぎゃるのド新規オタが徒然なるままに @ru____kka

「ヒメアノ~ル」を観たあとに思うこと

 

森田剛主演映画「ヒメアノ~ル」を観てきました。


この映画の宣伝のために、苦手であろうバラエティに出てはファンの心を愛しさで満杯にしてくれる剛くんに日々のエネルギーをもらいながら、公開を指折り数えていた。観る前に思い描いていた「ヒメアノ~ル」は『人間の気持ち悪さを体現した森田剛』が居て、受け手に二極化を強める意味合いもあってムロツヨシ濱田岳と個性派俳優を置いた、というようなイメージだった。「人間の気持ち悪さ」は監督が雑誌のインタビューで言っていた「旅行に一緒に行っていないのに「わかるわかる!楽しかったよね」と平気で言ってしまうような怖さ」がとてもストンと心に落ちて、所謂キモイだとかそういう言葉で測れるものではないものだと予想をしていた。そして、「森田剛」は「森田剛」から抜けることは難しいのでは、と考えていた部分も無きにしも非ずで。勿論今思うと大変申し訳ないのだけれど。私達はどうしても好きなアイドルが出演しているからその映画を鑑賞した際、アイドルフィルターと好きのフィルターがかかる。それは邪魔にもなるし、助けにもなる。どんなに本気の演技をしていてもそれはアイドルとして「かっこよかった!」で片付けてしまうこともあるし、例え納得がいかないものでも「でも、かっこよかった!」で自分の気持ちを救うことが出来る。学園祭の3日前の準備期間が何よりも楽しいように、今回のヒメアノ~ルも気持ちが先行していて実際観たらどうなるだろうだろうな、と俯瞰しながら公開初日のレイトショーに足を運んだ。

 

 

(※以下感想、ネタバレ有)

 

 


映画は「これは映画だ」と思って観ている自分がいる。どんなに面白くても非現実な部分を感じるからだ。それはヒメアノ~ルも変わらないはずだ。これは映画だし、非現実な部分もあったから。それなのに、鑑賞中に感じる感情が、全部現実で全部本物だった。それが一番吃驚して、一番怖かった。Twitterで、「スクリーンに森田剛はいなくて、森田正一がいた」との感想を沢山目にしたけれど、その通りだと思う反面、私の中で彼は森田正一でもなかったように思う。キャラクターでもなくて、私と同じ世界線に居て同じように生きている、同じ人間の映像をたまたま観ているような感覚。「悲しい・苦しい・同情」そんな気持ちで終わらせてさえくれない。そんな映画だった。


そして、受け手のいじめの加害者・被害者・傍観者、どの立場を経験したかによってこの映画の感じ方は大きく変わる。1日が終わる安堵感と同時に感じる1日が始まる恐怖感、毎日の地獄は人を殺そうと突き動かす原動力に成りうるし、寧ろ有り余る程でさえある。最後の「救い」は、救いでもあるし一番残酷でもある。見終わったあとは、ひたすらに涙が流れていたけれど何より凄いのは森田に対して何も思えなかったことである。「気持ち悪い」も「悲しい」も、気持ちが言葉に勝ってしまって、言葉に収まらないうえに、気持ち悪くも悲しくもない。愛しさとはまた違う、人間の深淵を垣間見たやるせなさにも似た感情だった。

 

ユカちゃんに対する執着心の所在も、岡田くんに対する殺人欲も、様々な考察がなされているようで、いろいろと目を通したけれどどれも腑に落ちないから、そこは少しばかり残念だった。私は映画で見て感じたものがすべてだと思うタチなのでそこでその感情は終わりにしようと思う。また思うことがあったら書き足すかもしれないけれど。

 

 

 

最後に。

森田剛の中には絶対零度な部分があるように見える。その部分さえも垣間見てしまったようにさえ思わせる演技力と彼の持つ空気感は稀有なものだと心底感じた。彼の映画を他にも観てみたいと思うと同時に、この作品以上に良い映画でないと観たくないとも思ってしまう。

本当に素敵な映画をありがとう、と声を大にしていいたい。

 

 

 

 

 

 

そして改めて思う

るか on Twitter: "この演技に挑んだ剛くんの、森田トーンでの「そりゃ滅入りますよ」はほんとに膝笑うわ。濱田さんそりゃ謝り倒したくなるわ。(笑)"

 

 

ほんとそれな